そんなわけで色々書いていただこうと思ってます。
ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
m(_ _)m
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写真の女性は「日本で一番、ゴールドの似合う女」
黄金咲ちひろちゃんです~
*注:鉄馬さんの愛人ではありません(笑)
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再び新宿・歌舞伎町へ――。
戦後間もない頃、あたり一面、葦の繁る沼地だった。復興期にこれを埋め立て、歌舞伎の劇場をつくる計画がもちあがり、計画は頓挫したが歌舞伎町という町名はそこから生まれた。バラックがぽつぽつと点在するそのあたり一帯、二束三文の土地を根こそぎ買い上げていったのが台湾華僑や在日朝鮮人たちであり、その発祥からして、すでに無国籍の色合いが強かった。歌舞伎町が今のような歓楽街になったのは、昭和33年3月の売春防止法によるところが大きい。東京中のありとあらゆる風俗が歌舞伎町に集中したのだ。
とりわけ、1980年(昭和55)以降、ノーパン喫茶からはじまり、のぞき部屋、個室マッサージなど、アイデア射精産業のニュー風俗台頭のあたりから、イッキに“不夜城”歌舞伎町の名が全国区となった。
不肖、山田鉄馬が歌舞伎町と深くかかわるようになったのも、この時期からである。およそ30年にわたって歌舞伎町を見続けてきたことになる。この間、ファッション・ヘルス、キャバクラ、テレクラ、ソフトSM、性感ヘルス、イメージクラブなど、ナイタイが主導した風俗トレンド、ムーブメントの「仕掛け」に直接たずさわり、少し大げさになるかもしれないが、世界に、そして人類に誇れるニッポン・フーゾクの一翼を担ってくることができた――と、そんな自負のようなものを感じながら生きてきた。
そして2007年――いま、歌舞伎町という街の混沌は底なし沼だ。日本に存在する盛り場の歴史の中では異彩を放ち、わずか50年の短い歴史の歌舞伎町が、東洋一の歓楽街に、秒速でのし上がったとおもったら、このざまだ。
いま、歌舞伎町にかつての面影はない。その経緯は、本誌の連載でたびたび解説してきたので、あえて深くは触らないが、時代は、社会は、そして人類は未曾有のグローバル化を迎え、なぜかしら、終息に向かって、生き急いでいるような感じがしてならない。このグローバル化の中にあって、日本が世界に誇れる固有の文化であるフーゾクの根をたやしてはならないのだ!
石原都政が主導した風俗粛清の嵐のツケは、やがて社会の表層に膿みのように噴出してくるのは明白であり、この先、さらに十年後のニッポンフーゾクを見据えて、腹をくくって闘うつもりだ。ちなみに、友人の厚生労働省の官僚幹部Mが、プライベートな飲み席でこんなことを語った。
あまり、公には報じられていないのだがと前置きし、「いま、歌舞伎町で大規模な再開発事業の計画が進められている。来年(‘08)4月には歌舞伎町のシンボルであるコマ劇場内のすべてのテナントが立ち退き、取り壊される。さらに、12月には隣接する東急ミラノビルもすべてのテナントを立ち退かせ、ビルの改築工事に着手する。同様に周辺の映画館が入っているビルも同時期に取り壊しとなり、来年以降、歌舞伎町のど真ん中がスクラップ状態に陥る」と――(次号につづく)