って、どこへ? ミスター・ナイトライフ~山田鉄馬のハード&ルーズ日記
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HN:
チーム鉄馬
HP:
性別:
男性
自己紹介:
我らの鉄馬さんはミスターナイトライフとか色々言われるけど、何とでも言ってやって下さい~^^;
そんなわけで色々書いていただこうと思ってます。
ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
m(_ _)m
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真の女性は「日本で一番、ゴールドの似合う女」
黄金咲ちひろちゃんです~
*注:鉄馬さんの愛人ではありません(笑)
そんなわけで色々書いていただこうと思ってます。
ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
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山田鉄馬に憑いてる悪魔
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団 鬼六 死す!
エピソード3<ミス・シン事件~出奔!>
ミス・シン事件~出奔!
「ミス・シン」とは?
「ミス・シンデレラコンテスト」の略称。
ナイタイ主催で、日本風俗ペンクラブが後援し、開催していた盛り場で働くフードル、
キャバ嬢たちで競い合う、日本一の「盛り場女王」を決める人気コンテスト。
起源は古く、
昭和60年2月に施行した新・風営法(改正風俗営業適正化法)の影響で
全国の飲み屋街、繁華街は灯が消えたように活気が失われ、
「このままでは~まずいんでないかい~」
と冗談半分に、
何とか歓楽街を盛り上げようと目論見、そもそも、私が発案し、企画して
スタートしたお祭りイベントだった。
毎年秋に行われ、年々盛大になり、歴史を重ね、
ナイタイがおかしくなりはじめた平成19年まで続き、
残念ながら「第23回 ミス・シンデレラコンテスト」が最後となった。
団先生には平成6年の復筆以降、毎回、審査委員長を務めて頂いた。
私は当初から23回まで実行委員長としてイベントのプロデュースをしてきたのだった。
事件は平成12年10月、第17回の時、起こった。
発端は団先生の些細な一言からだった――。
無事イベントが終了し、いつもの年のように審査員のお歴々、
ゲスト、風俗ペンクラブのマスコミ面々、受賞者の女の子たち、関わったスタッフと
「あ~、こりゃこりゃ」
と上機嫌で歌舞伎町の居酒屋で打ち上げをしていた時、
「社主(ナイタイ創業者)がお呼びです!」と秘書からの緊急コール。
審査委員長の団先生は社主と近くで会食中だった。
(ねぎらいの言葉でも貰えるのかな~)などと、呑気に出向くと、
いきなり、社主の怒号!
「おまえは業者から賄賂を貰って、女王(グランプリ)を決めているのか!!!」
寝耳に水とはこのこと。
もしそうだったとしたら、社主が憤るのも当然だ。
しかし、わたしには何のことやら。
これまでに、ただの一度だってそんな不正なんてしたことはなかった。
――つまり、こういうことだった。
(団先生のお気に入りの子が女王になれず、
格下の賞に甘んじる結果となったことに、さして悪気なく、
社主と会食中にちょっぴり不満をもらした=後日、団先生談)
ということらしい。
団先生は「まぁ、まぁ、大したことではないんですから」
と間をとりなすも、社主のあまりの剣幕に、おろおろするばかり。
社主は怒り出すと怖い。
早くに父を亡くしていた私は、そんな本気で怒ってくれる社主が大好きだった。
(ボクって、やっぱし、ヘンタイなのかな?)
私は編集局に戻り、審査員採点担当責任者のTを呼び、
採点表を再度チェックすることになった。
もはや打ち上げの「あ~こりゃこりゃ」どころではない。
しばらくして、団先生と会食を終えた社主がやってきて、
いきなり、私のデスクをひっくり返した!
編集長用で高級木造りのデカくて重たい机だ。
相当の腕力なくして、持ち上げられる代物ではない。
それを難なく持ち上げ、ひっくり返してしまった。
「なにが編集長だ!このバカ野郎~
!!!」
疑いは晴れたどころか、怒りのボルテージはまさに最高潮に達していた。
しばらくして社主は帰った。
この一部始終をたった一人だけ、逃げずに見ていた生き証人が
現在、週刊現代で記者をやっているSくん。
その他の居残り編集部員たちは、不穏を察知して早々と退散していたらしい。
私も興奮冷めやらぬまま、ハタと、どうしたものか・・・
と、だだっ広い編集局フロアの床に膝を落として逡巡した挙句、
会社を去ることを半ば冗談半分、本気半分で決断したのだった。
疑われるいわれは、これっぽっちもなかったが、
こうまで社主に信頼されていなかったのか!!
という、くやしさで自棄クソになっていたのかも。
少し落ち着いてきたら、今度は段々腹が立ってきた。
こんなに精魂こめて作り上げてきた「ミス・シン」イベントなのに、
この云われ様はなんてこったぃ!
「ええい!もう我慢ならん!辞めてまえ~!」
いつしか野生の鉄馬が甦り、怒りの雄叫びを上げていた!
社主が社主なら、おれも俺だね。
このイベントのことを熟知している盟友だった、今は亡き小林一朗あてに
「納得いかない!今日限り、辞める。あとを頼む!」
と走り書きのメモを残して去ったのだった。
後先も考えずの出奔~!!!
深夜、自宅に帰り、妻に一部始終をありのままに話す。
妻は「あなたの好きに生きるべきよ」と悲しむどころか、応援してくれたが・・・。
考えてみたら私の結婚式の仲人は社主夫妻でもあった。
マンションをその前の年、買ったばかりで、
ローンもいっぱい残っている。
生まれて間もない次男坊の遊馬は、なんにも知らずにスヤスヤ・・・。
落ち着くと、現実の不安種が頭をよぎる・・・。
興奮のまま眠れぬ夜が過ぎ、日があけて、
「山田鉄馬がナイタイを去った!」――の報がまたたくマスコミ間に流れた。
あっちこっちから電話が入る。誰もが信じられないようだった。
なにせその頃、ナイタイ全盛期であり、私は新聞の方の編集長を足掛け10年以上も務めており、
曲りなりにも看板編集長ということで知られていた。
それから三日程して団先生にも知れたようだった。
自宅に電話が入り、
「ど、ど、どうした!悪い冗談はやめろ!
ミ、ミ、ミスシンが原因か!俺の責任か~!」
団先生は興奮すると、どもる癖がある。
「先生に責任はありませんよ。私の個人的な考えで決めたことです。バカバカしくて嫌になりました。ただそれだけなんです。ナイタイは辞めても先生との付き合いは変わりません。今後ともよろしくお願いしま~っす!」
「おい、早まるなよ~。俺が社主に取り成してやるから。必ず戻れ!なっ、おい!」
――次号へつづく 合掌
ただ遊べ、
帰らぬ道は誰も同じ、
柳は緑、花は紅(くれない)
(団先生の好きな言葉part4~中世小唄、隆達節より)
エピソード3<ミス・シン事件~出奔!>
ミス・シン事件~出奔!
「ミス・シン」とは?
「ミス・シンデレラコンテスト」の略称。
ナイタイ主催で、日本風俗ペンクラブが後援し、開催していた盛り場で働くフードル、
キャバ嬢たちで競い合う、日本一の「盛り場女王」を決める人気コンテスト。
起源は古く、
昭和60年2月に施行した新・風営法(改正風俗営業適正化法)の影響で
全国の飲み屋街、繁華街は灯が消えたように活気が失われ、
「このままでは~まずいんでないかい~」
と冗談半分に、
何とか歓楽街を盛り上げようと目論見、そもそも、私が発案し、企画して
スタートしたお祭りイベントだった。
毎年秋に行われ、年々盛大になり、歴史を重ね、
ナイタイがおかしくなりはじめた平成19年まで続き、
残念ながら「第23回 ミス・シンデレラコンテスト」が最後となった。
団先生には平成6年の復筆以降、毎回、審査委員長を務めて頂いた。
私は当初から23回まで実行委員長としてイベントのプロデュースをしてきたのだった。
事件は平成12年10月、第17回の時、起こった。
発端は団先生の些細な一言からだった――。
無事イベントが終了し、いつもの年のように審査員のお歴々、
ゲスト、風俗ペンクラブのマスコミ面々、受賞者の女の子たち、関わったスタッフと
「あ~、こりゃこりゃ」
と上機嫌で歌舞伎町の居酒屋で打ち上げをしていた時、
「社主(ナイタイ創業者)がお呼びです!」と秘書からの緊急コール。
審査委員長の団先生は社主と近くで会食中だった。
(ねぎらいの言葉でも貰えるのかな~)などと、呑気に出向くと、
いきなり、社主の怒号!
「おまえは業者から賄賂を貰って、女王(グランプリ)を決めているのか!!!」
寝耳に水とはこのこと。
もしそうだったとしたら、社主が憤るのも当然だ。
しかし、わたしには何のことやら。
これまでに、ただの一度だってそんな不正なんてしたことはなかった。
――つまり、こういうことだった。
(団先生のお気に入りの子が女王になれず、
格下の賞に甘んじる結果となったことに、さして悪気なく、
社主と会食中にちょっぴり不満をもらした=後日、団先生談)
ということらしい。
団先生は「まぁ、まぁ、大したことではないんですから」
と間をとりなすも、社主のあまりの剣幕に、おろおろするばかり。
社主は怒り出すと怖い。
早くに父を亡くしていた私は、そんな本気で怒ってくれる社主が大好きだった。
(ボクって、やっぱし、ヘンタイなのかな?)
私は編集局に戻り、審査員採点担当責任者のTを呼び、
採点表を再度チェックすることになった。
もはや打ち上げの「あ~こりゃこりゃ」どころではない。
しばらくして、団先生と会食を終えた社主がやってきて、
いきなり、私のデスクをひっくり返した!
編集長用で高級木造りのデカくて重たい机だ。
相当の腕力なくして、持ち上げられる代物ではない。
それを難なく持ち上げ、ひっくり返してしまった。
「なにが編集長だ!このバカ野郎~
!!!」
疑いは晴れたどころか、怒りのボルテージはまさに最高潮に達していた。
しばらくして社主は帰った。
この一部始終をたった一人だけ、逃げずに見ていた生き証人が
現在、週刊現代で記者をやっているSくん。
その他の居残り編集部員たちは、不穏を察知して早々と退散していたらしい。
私も興奮冷めやらぬまま、ハタと、どうしたものか・・・
と、だだっ広い編集局フロアの床に膝を落として逡巡した挙句、
会社を去ることを半ば冗談半分、本気半分で決断したのだった。
疑われるいわれは、これっぽっちもなかったが、
こうまで社主に信頼されていなかったのか!!
という、くやしさで自棄クソになっていたのかも。
少し落ち着いてきたら、今度は段々腹が立ってきた。
こんなに精魂こめて作り上げてきた「ミス・シン」イベントなのに、
この云われ様はなんてこったぃ!
「ええい!もう我慢ならん!辞めてまえ~!」
いつしか野生の鉄馬が甦り、怒りの雄叫びを上げていた!
社主が社主なら、おれも俺だね。
このイベントのことを熟知している盟友だった、今は亡き小林一朗あてに
「納得いかない!今日限り、辞める。あとを頼む!」
と走り書きのメモを残して去ったのだった。
後先も考えずの出奔~!!!
深夜、自宅に帰り、妻に一部始終をありのままに話す。
妻は「あなたの好きに生きるべきよ」と悲しむどころか、応援してくれたが・・・。
考えてみたら私の結婚式の仲人は社主夫妻でもあった。
マンションをその前の年、買ったばかりで、
ローンもいっぱい残っている。
生まれて間もない次男坊の遊馬は、なんにも知らずにスヤスヤ・・・。
落ち着くと、現実の不安種が頭をよぎる・・・。
興奮のまま眠れぬ夜が過ぎ、日があけて、
「山田鉄馬がナイタイを去った!」――の報がまたたくマスコミ間に流れた。
あっちこっちから電話が入る。誰もが信じられないようだった。
なにせその頃、ナイタイ全盛期であり、私は新聞の方の編集長を足掛け10年以上も務めており、
曲りなりにも看板編集長ということで知られていた。
それから三日程して団先生にも知れたようだった。
自宅に電話が入り、
「ど、ど、どうした!悪い冗談はやめろ!
ミ、ミ、ミスシンが原因か!俺の責任か~!」
団先生は興奮すると、どもる癖がある。
「先生に責任はありませんよ。私の個人的な考えで決めたことです。バカバカしくて嫌になりました。ただそれだけなんです。ナイタイは辞めても先生との付き合いは変わりません。今後ともよろしくお願いしま~っす!」
「おい、早まるなよ~。俺が社主に取り成してやるから。必ず戻れ!なっ、おい!」
――次号へつづく 合掌
ただ遊べ、
帰らぬ道は誰も同じ、
柳は緑、花は紅(くれない)
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