って、どこへ? ミスター・ナイトライフ~山田鉄馬のハード&ルーズ日記
+プロフィール
HN:
チーム鉄馬
HP:
性別:
男性
自己紹介:
我らの鉄馬さんはミスターナイトライフとか色々言われるけど、何とでも言ってやって下さい~^^;
そんなわけで色々書いていただこうと思ってます。
ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
m(_ _)m
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真の女性は「日本で一番、ゴールドの似合う女」
黄金咲ちひろちゃんです~
*注:鉄馬さんの愛人ではありません(笑)
そんなわけで色々書いていただこうと思ってます。
ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
m(_ _)m
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真の女性は「日本で一番、ゴールドの似合う女」
黄金咲ちひろちゃんです~
*注:鉄馬さんの愛人ではありません(笑)
にほんブログ村 山田鉄馬のデビュー曲
+最新コメント
[11/17 ryukgltx]
[11/17 xwcuirsakb]
[11/17 aiyyus]
[11/17 njdcck]
[11/17 lqrlgzqsrjv]
[11/17 vqyoeu]
[11/17 glhbxoeorv]
[11/17 tdvdyyqkhc]
[11/16 imnvczg]
[11/16 anpmgrjadhb]
[11/16 rftnhe]
[11/16 eeaabfs]
[11/16 oneleaddfua]
[11/16 muejypaea]
[11/16 kjhcmgeud]
+最新記事
(06/19)
(06/15)
(06/07)
(05/31)
(05/28)
(05/24)
(05/20)
(05/16)
(05/13)
(05/08)
(11/17)
(11/16)
(11/16)
(11/16)
(11/16)
(10/15)
(10/15)
(10/15)
(10/15)
(09/19)
山田鉄馬に憑いてる悪魔
+アーカイブ
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
絶筆!『私本 西鶴草子』
団 鬼六死す!~エピソード4
絶筆!
かねがね、
小説家 団 鬼六の文学的素養はどんな風にして培われたものなのか、
気になっていた。
およそ文学談義とは、ほど遠い人ではあった。
滅多に文学について話題にすることはなかったし、というより、
団先生はそうした「辛気臭い(本人談)」話は避けている風でもあった。
物書きなのに自宅の仕事場を覗いても、文学書の類の蔵書はほとんどなかったし、
自著のあの華麗なる作品群もほったらかしのままで、本棚に飾ってあるわけでもない。
無頼派の最後の文士といわれる所以だ。
そんな作家らしからぬ、野放図なところがとてもお茶目で、私は大好きだったわけだが・・・。
しかし、いつかは聞かねば、と機会をうかがっていた。
どうして、こんなに凄い作家が生まれたのか。その文学の軌跡を――。
公私ともに親しく付き合うようになって数年を経た平成十五年の夏、
あるイベントの帰り、団先生とふたりで、
歌舞伎町ゴールデン街のバーを飲み歩いていた時、
チャンスが訪れた。
狭い急な階段を、転げ落ちないように団先生の背後をガードしながら、
たどり着いた2階にある穴倉のような狭いバーだった。
ゴールデン街には団先生行きつけの店「一歩」、「石の花」など数軒あったが、
そのバーは初めて連れてきてくれた店だった。
すでに何軒目かで団先生はかなり出来上がっていた。
8人ばかりが座れば満杯のカウンターに、幸い、団先生と私の二人きり。
カウンターの中には浴衣姿の、そう、年の頃二十七、八、
羽田美智子似の美人ママ。
「へ~!?」と私は驚いた。
ゴールデン街にこんな穴場があったとは・・・。
ほとんどのバーはお化け屋敷なのに。
さすが団先生、隅に置けない。
互いに焼酎のオンザロックを注文したが、
団先生はチビリと一口舐めただけで、
一向に減らない。私はすこぶるの呑ん兵衛で、
そんな先生を尻目に、ガンガンいく。
それが私の流儀。いざ、飲みの席では遠慮しない。
団先生はもったいぶるように、目の前の、若くて初々しい、
ゴールデン街には不釣合いな美人ママを紹介してくれた。
駆け出しの女優だという。
私はその瞬間、すでに勃起していた。
団先生の原作『外道の群れ』(1996年初版、朝日ソノラマ刊、
のち幻冬舎アウトロー文庫)の
映画化『およう』(2002、シネマジック、配給=松竹)
に出演したのがきっかけだったらしい。
で、その年に封切られて話題になっていた『およう』(竹中直人、熊川哲也、里見浩太朗、渋谷亜希)
の話で盛り上がったのだが、
その美人ママ、大正浪漫の竹久夢二からはじまって、
ついにはなぜか、太宰治の文学談義に突っ走ってしまっていた。
太宰が好きなんだとか。
ちょっと~、美人のママさん、
先生の前で文学談義はご法度なんすけど~。
他に客はいない、
団先生おろか、その美人ママもかなり出来上がっている。
もう深夜も二時をまわっていて、他に客の来る気配もない。
(こりゃ、朝までコースか)
団先生はふんふんと頷きながら、軽くいなすように、
「あたしゃ~、長谷川伸のチャンバラしか読んだことがないから、
そんな高尚なことを言われてもチンプンカンプンや~」
毎度の団先生一流の照れ隠しだ。
そういいながら、
「でも、じつは、ここだけの話、私も太宰は嫌いじゃないんだ」
ポロリ。珍しく乗ってきた。
「自棄になって、女と心中なんてのは、とことんMの心情やねん」
とバッサリ。
「他力本願、ジコチューの権化や。けんど、
それを己の文学として世間様に、裸になって提示した。
命を張って。そこが太宰の本領や。その覚悟は文学者やとおもう。
わしも若い頃は破滅的に生きとったし、ハチャメチャやったけど、
しかし、心中なんてのはわしには及びもつかん。
わしはひたすら快楽教やきに」
などとわけの分からんことを言い始めた。
しかし、なんとなく団先生の言わんとすることが分かる。
私はここが時期だと思った。
私自身、かなり酔っていたが、ここぞとばかり、
「恐れ入りました。ところで、その先生の博識、あのエロでありながら、
研ぎ澄まされた文体、耽美的感性、根っこは一体何なんですか?」
と、さりげなく突っ込む。
しばし間をおくと、先生はボソリ。
「西鶴やねん」
「学生の頃、一時期、西鶴に耽っとった時期があってね。
演劇をやってた関係でチェーホフ、無論シェークスピアも読んでいたが、ピンとこなかった。なんか違うねんね。
それで一時期大衆演劇なんかに走ったり。まぁ、右往左往していた時期があったんよ。
その時かな~。いまどきの若い人は到底、井原西鶴なんて読まんと思うけど・・・」
作家は創作の本音を明かさない。
しかし、語った。初めて。
「へえ~!」
私は意外だったが、すぐに納得もした。
そして、感動に打ち震えた。
なぜなら、西鶴の代表作「好色一代男」の世之介は
私のライフワークでもあったからだ。
偶然とはいえ、奇しき縁とはこのことか。
互いの心の奥底でつながっていたひとつの確信、
それが井原西鶴だった。
これ以上前置きはきりがない。
団鬼六絶筆は井原西鶴だった!
「私本 西鶴草子」
惜しむらく、この連載の書き始めが最後の執筆となってしまった。
「月刊 小説現代 6月号」 (5/21発売) 合掌
団 鬼六死す!~エピソード4
絶筆!
かねがね、
小説家 団 鬼六の文学的素養はどんな風にして培われたものなのか、
気になっていた。
およそ文学談義とは、ほど遠い人ではあった。
滅多に文学について話題にすることはなかったし、というより、
団先生はそうした「辛気臭い(本人談)」話は避けている風でもあった。
物書きなのに自宅の仕事場を覗いても、文学書の類の蔵書はほとんどなかったし、
自著のあの華麗なる作品群もほったらかしのままで、本棚に飾ってあるわけでもない。
無頼派の最後の文士といわれる所以だ。
そんな作家らしからぬ、野放図なところがとてもお茶目で、私は大好きだったわけだが・・・。
しかし、いつかは聞かねば、と機会をうかがっていた。
どうして、こんなに凄い作家が生まれたのか。その文学の軌跡を――。
公私ともに親しく付き合うようになって数年を経た平成十五年の夏、
あるイベントの帰り、団先生とふたりで、
歌舞伎町ゴールデン街のバーを飲み歩いていた時、
チャンスが訪れた。
狭い急な階段を、転げ落ちないように団先生の背後をガードしながら、
たどり着いた2階にある穴倉のような狭いバーだった。
ゴールデン街には団先生行きつけの店「一歩」、「石の花」など数軒あったが、
そのバーは初めて連れてきてくれた店だった。
すでに何軒目かで団先生はかなり出来上がっていた。
8人ばかりが座れば満杯のカウンターに、幸い、団先生と私の二人きり。
カウンターの中には浴衣姿の、そう、年の頃二十七、八、
羽田美智子似の美人ママ。
「へ~!?」と私は驚いた。
ゴールデン街にこんな穴場があったとは・・・。
ほとんどのバーはお化け屋敷なのに。
さすが団先生、隅に置けない。
互いに焼酎のオンザロックを注文したが、
団先生はチビリと一口舐めただけで、
一向に減らない。私はすこぶるの呑ん兵衛で、
そんな先生を尻目に、ガンガンいく。
それが私の流儀。いざ、飲みの席では遠慮しない。
団先生はもったいぶるように、目の前の、若くて初々しい、
ゴールデン街には不釣合いな美人ママを紹介してくれた。
駆け出しの女優だという。
私はその瞬間、すでに勃起していた。
団先生の原作『外道の群れ』(1996年初版、朝日ソノラマ刊、
のち幻冬舎アウトロー文庫)の
映画化『およう』(2002、シネマジック、配給=松竹)
に出演したのがきっかけだったらしい。
で、その年に封切られて話題になっていた『およう』(竹中直人、熊川哲也、里見浩太朗、渋谷亜希)
の話で盛り上がったのだが、
その美人ママ、大正浪漫の竹久夢二からはじまって、
ついにはなぜか、太宰治の文学談義に突っ走ってしまっていた。
太宰が好きなんだとか。
ちょっと~、美人のママさん、
先生の前で文学談義はご法度なんすけど~。
他に客はいない、
団先生おろか、その美人ママもかなり出来上がっている。
もう深夜も二時をまわっていて、他に客の来る気配もない。
(こりゃ、朝までコースか)
団先生はふんふんと頷きながら、軽くいなすように、
「あたしゃ~、長谷川伸のチャンバラしか読んだことがないから、
そんな高尚なことを言われてもチンプンカンプンや~」
毎度の団先生一流の照れ隠しだ。
そういいながら、
「でも、じつは、ここだけの話、私も太宰は嫌いじゃないんだ」
ポロリ。珍しく乗ってきた。
「自棄になって、女と心中なんてのは、とことんMの心情やねん」
とバッサリ。
「他力本願、ジコチューの権化や。けんど、
それを己の文学として世間様に、裸になって提示した。
命を張って。そこが太宰の本領や。その覚悟は文学者やとおもう。
わしも若い頃は破滅的に生きとったし、ハチャメチャやったけど、
しかし、心中なんてのはわしには及びもつかん。
わしはひたすら快楽教やきに」
などとわけの分からんことを言い始めた。
しかし、なんとなく団先生の言わんとすることが分かる。
私はここが時期だと思った。
私自身、かなり酔っていたが、ここぞとばかり、
「恐れ入りました。ところで、その先生の博識、あのエロでありながら、
研ぎ澄まされた文体、耽美的感性、根っこは一体何なんですか?」
と、さりげなく突っ込む。
しばし間をおくと、先生はボソリ。
「西鶴やねん」
「学生の頃、一時期、西鶴に耽っとった時期があってね。
演劇をやってた関係でチェーホフ、無論シェークスピアも読んでいたが、ピンとこなかった。なんか違うねんね。
それで一時期大衆演劇なんかに走ったり。まぁ、右往左往していた時期があったんよ。
その時かな~。いまどきの若い人は到底、井原西鶴なんて読まんと思うけど・・・」
作家は創作の本音を明かさない。
しかし、語った。初めて。
「へえ~!」
私は意外だったが、すぐに納得もした。
そして、感動に打ち震えた。
なぜなら、西鶴の代表作「好色一代男」の世之介は
私のライフワークでもあったからだ。
偶然とはいえ、奇しき縁とはこのことか。
互いの心の奥底でつながっていたひとつの確信、
それが井原西鶴だった。
これ以上前置きはきりがない。
団鬼六絶筆は井原西鶴だった!
「私本 西鶴草子」
惜しむらく、この連載の書き始めが最後の執筆となってしまった。
「月刊 小説現代 6月号」 (5/21発売) 合掌
PR
□ この記事にコメントする
およう
およう。噂には聞いていましたが、まだ観ていなかった。不覚!これからTSUTAYAに走ります!
No title
鉄馬さんが羨ましいです~!もっとガンガン書いてください~。鬼六先生の別ネタ、楽しみにお待ちしてます。
Sさんへ
団先生のお通夜で、久々の再会、うれしかったです。キャリアを積んで、たくましくなりましたね~!これからの更なる活躍、期待してるからね!
さすがです!
いや~、やはりそうだったんですよね。西鶴だったんですよね。連載の最後まで見たかった。悔しい・・・。続きは鉄馬さん書いてよ!
xqovyTib
ysZbEj <a href="http://vhvmmsopoqpr.com/">vhvmmsopoqpr</a>
LSqXgOKYbijyGqcPfjQ
mEF5hV <a href="http://bylhnpazebnx.com/">bylhnpazebnx</a>
qOmDwKaIifuwmmxy
BvRzjn <a href="http://dwegkyjgdkln.com/">dwegkyjgdkln</a>
DQKglYjwn
3FFOJ6 <a href="http://qtfoohvngvoh.com/">qtfoohvngvoh</a>