って、どこへ? ミスター・ナイトライフ~山田鉄馬のハード&ルーズ日記
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チーム鉄馬
HP:
性別:
男性
自己紹介:
我らの鉄馬さんはミスターナイトライフとか色々言われるけど、何とでも言ってやって下さい~^^;
そんなわけで色々書いていただこうと思ってます。
ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
m(_ _)m
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真の女性は「日本で一番、ゴールドの似合う女」
黄金咲ちひろちゃんです~
*注:鉄馬さんの愛人ではありません(笑)
そんなわけで色々書いていただこうと思ってます。
ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
m(_ _)m
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---------前回からのつづき。
「ど、ど、どうした!悪い冗談はやめろ!
ミ、ミ、ミスシンが原因か!俺の責任か~!」
団先生は興奮すると、どもる癖がある。
「先生に責任はありませんよ。私の個人的な考えで決めたことです。
バカバカしくて嫌になりました。ただそれだけなんです。
ナイタイは辞めても先生との付き合いは変わりません。
今後ともよろしくお願いしま~っす!」
「おい、早まるなよ~。俺が社主に取り成してやるから。
必ず戻れ!なっ、おい!」
まだ20代なかば、某経済誌の記者時代だった頃、
趣味の風俗探索にハマリ、
偶然、ナイタイ(当時=歌舞伎町タイムス~後ナイトタイムス~ナイタイ)と出会い、
入社してから早20年が経っていた。
青春とともにあった愛する会社。
私の人生そのものともいえる愛しい仕事。
それと決別することになるとは・・・正直、辛かった。
しかし、私の決意は固かった。
その時すでに、お世話になったいたマスコミ各社の友人あてに準備した、
ナイタイ退社の挨拶状を印刷屋に発注していたのだった。
生活の糧もマジメに考えなくてはならず、もはや猶予はなかった。
なにせ、それまでは結構な高給取りだった。
突然の無給は、いくらなんでもしんどい。
まだ幼い二人の子供を抱えて・・・。
ただ、幸いなことに、当時の私はナイタイで唯一副業が黙認される立場にあった。
TVのコメンテーター、ラジオ、映画出演、週刊誌やスポーツ紙の依頼原稿がしばしばあり、
随時こなしていたが、それらが結構ばかにならない小遣い稼ぎになっていた。
結婚以来、妻に小遣いをせびった記憶がない。
振り込まれる給料は、丸々、妻が管理して、私自身の交際費、遊興費はそれらのギャランティーで充分賄えて、お釣りのくる位のものだった。
しかも、かなり派手な遊興っぷりだったと思う。
退社しての活路はその辺りから開くしかない。
で、「鉄馬舎」という社名まで考え、自分の事務所を興すことを考えた。
友人のイラストレーター、銀角さんにロゴデザインまで依頼して、
素晴らしい作品も出来上がった。
しかし、それから半月ほど経ったあたりから、盟友の小林一朗、
そして当時ナイタイの社長だったF氏、
さらには会社ぐるみで親しくしていたポール・牧(故人)、
などから盛んに、
「誤解が解けたから、帰ってこ~いよ~!」
コールが起き、逡巡することになる。
その頃、当時連載をこなしていた、エロ出版社の雄、T書房、
さらにはM出版などから役員待遇でのハンティング話が持ち上がっていた。
T書房などは、ナイタイの二倍の給料で
「三顧の礼をもって、お迎えする」
――などと、鄭重な役員氏からの挨拶まであった。
今思えば、夢のような時代だったな~。
独立の準備、他出版社からの好待遇での招聘の話、
そして古巣からの帰れ!コール
・・・その三っつの選択の狭間で私の心は揺れていた。
人生に岐路というものがあるとすれば、
私にとっての人生の岐路は、まさにこの時だった。
いま、当時を振り返ってみても、しみじみ思う。
人生も人類の歴史も、その運命の転換は一瞬のことであり、
まさに些細な、あるいは微妙な綾取り糸の匙加減、
何の脈絡もなしに決まってしまうという、ある意味過酷で、
無慈悲で、無責任なものだと、つくづく思うのだ。
私の迷いは三ヶ月に及んだ――。
この間、ナイタイからは頼みもしないのに、給料が振り込まれ続けていたのだった。(私は知らなかったのだが、しっかり妻は管理していた)
揚句・・・結局、私はナイタイに復帰した。
復帰を決断する数日前、まよいに迷っていた私は、ついに思い余って、
団先生に打ち明けた。
「先生!あたしゃ~、どうすりゃいいんでがしょ!」
団先生はポツリと一言。
「決まっとるがな。社主のところへ戻りなはれ!」
・・・そうだよね。
その一言が背中を押してくれたのだった。
結局、なんだかんだと偉そうに御託を述べながらも、
心の奥底で自分が一番願っていた形で、ついに事は終息したのであった。
これが、ナイタイをボイコットして出奔し、
ひと悶着起こした事件の一部始終である。
やきもきしたこの事件も、
しかし発端は団先生であり、
結局、締めてくれたのも団先生だった・・・
まっこと、人の縁とは不思議なもんぜよ。
合掌
女ごころは縛れないけど、
せめて身体は縛りたい
(団先生の口癖part5)
「ど、ど、どうした!悪い冗談はやめろ!
ミ、ミ、ミスシンが原因か!俺の責任か~!」
団先生は興奮すると、どもる癖がある。
「先生に責任はありませんよ。私の個人的な考えで決めたことです。
バカバカしくて嫌になりました。ただそれだけなんです。
ナイタイは辞めても先生との付き合いは変わりません。
今後ともよろしくお願いしま~っす!」
「おい、早まるなよ~。俺が社主に取り成してやるから。
必ず戻れ!なっ、おい!」
まだ20代なかば、某経済誌の記者時代だった頃、
趣味の風俗探索にハマリ、
偶然、ナイタイ(当時=歌舞伎町タイムス~後ナイトタイムス~ナイタイ)と出会い、
入社してから早20年が経っていた。
青春とともにあった愛する会社。
私の人生そのものともいえる愛しい仕事。
それと決別することになるとは・・・正直、辛かった。
しかし、私の決意は固かった。
その時すでに、お世話になったいたマスコミ各社の友人あてに準備した、
ナイタイ退社の挨拶状を印刷屋に発注していたのだった。
生活の糧もマジメに考えなくてはならず、もはや猶予はなかった。
なにせ、それまでは結構な高給取りだった。
突然の無給は、いくらなんでもしんどい。
まだ幼い二人の子供を抱えて・・・。
ただ、幸いなことに、当時の私はナイタイで唯一副業が黙認される立場にあった。
TVのコメンテーター、ラジオ、映画出演、週刊誌やスポーツ紙の依頼原稿がしばしばあり、
随時こなしていたが、それらが結構ばかにならない小遣い稼ぎになっていた。
結婚以来、妻に小遣いをせびった記憶がない。
振り込まれる給料は、丸々、妻が管理して、私自身の交際費、遊興費はそれらのギャランティーで充分賄えて、お釣りのくる位のものだった。
しかも、かなり派手な遊興っぷりだったと思う。
退社しての活路はその辺りから開くしかない。
で、「鉄馬舎」という社名まで考え、自分の事務所を興すことを考えた。
友人のイラストレーター、銀角さんにロゴデザインまで依頼して、
素晴らしい作品も出来上がった。
しかし、それから半月ほど経ったあたりから、盟友の小林一朗、
そして当時ナイタイの社長だったF氏、
さらには会社ぐるみで親しくしていたポール・牧(故人)、
などから盛んに、
「誤解が解けたから、帰ってこ~いよ~!」
コールが起き、逡巡することになる。
その頃、当時連載をこなしていた、エロ出版社の雄、T書房、
さらにはM出版などから役員待遇でのハンティング話が持ち上がっていた。
T書房などは、ナイタイの二倍の給料で
「三顧の礼をもって、お迎えする」
――などと、鄭重な役員氏からの挨拶まであった。
今思えば、夢のような時代だったな~。
独立の準備、他出版社からの好待遇での招聘の話、
そして古巣からの帰れ!コール
・・・その三っつの選択の狭間で私の心は揺れていた。
人生に岐路というものがあるとすれば、
私にとっての人生の岐路は、まさにこの時だった。
いま、当時を振り返ってみても、しみじみ思う。
人生も人類の歴史も、その運命の転換は一瞬のことであり、
まさに些細な、あるいは微妙な綾取り糸の匙加減、
何の脈絡もなしに決まってしまうという、ある意味過酷で、
無慈悲で、無責任なものだと、つくづく思うのだ。
私の迷いは三ヶ月に及んだ――。
この間、ナイタイからは頼みもしないのに、給料が振り込まれ続けていたのだった。(私は知らなかったのだが、しっかり妻は管理していた)
揚句・・・結局、私はナイタイに復帰した。
復帰を決断する数日前、まよいに迷っていた私は、ついに思い余って、
団先生に打ち明けた。
「先生!あたしゃ~、どうすりゃいいんでがしょ!」
団先生はポツリと一言。
「決まっとるがな。社主のところへ戻りなはれ!」
・・・そうだよね。
その一言が背中を押してくれたのだった。
結局、なんだかんだと偉そうに御託を述べながらも、
心の奥底で自分が一番願っていた形で、ついに事は終息したのであった。
これが、ナイタイをボイコットして出奔し、
ひと悶着起こした事件の一部始終である。
やきもきしたこの事件も、
しかし発端は団先生であり、
結局、締めてくれたのも団先生だった・・・
まっこと、人の縁とは不思議なもんぜよ。
合掌
女ごころは縛れないけど、
せめて身体は縛りたい
(団先生の口癖part5)
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とにかく、そういうことだったんですね。もっと、もっと裸になって~!!
ナットク!!