そんなわけで色々書いていただこうと思ってます。
ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
m(_ _)m
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写真の女性は「日本で一番、ゴールドの似合う女」
黄金咲ちひろちゃんです~
*注:鉄馬さんの愛人ではありません(笑)
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男の美学
団 鬼六死す!~エピソード6
団先生は還暦を過ぎたあたりから、糖尿病が進み、
少しは運動せにゃ、
とゴールデンリトリバーの雌犬、アリスを飼い、
近所を散歩するようになっていた。
しかし、状況は好転せず、やがて係りつけの医者から、
「腎不全、あと半年の命」――と無残な宣告を受ける。
打ち合わせでたまたま団宅に寄った時、帰り際、先生からポロリ、
そのことを告げられ、ショックを受けた。
で、その夜、たまたまだったのだが、
夕刊フジのK記者と飲みの約束があって、飲んでる最中、
団先生の近況が遡上に乗り、うっかり、
「腎不全、あと半年の命」・・・と洩らしてしまった。
いや~これが、どえらい騒動に発展してしまったじゃがの。
翌日の夕刊フジの一面トップに、
「団 鬼六 腎不全、人工透析拒否!!~余命半年!」
――の大見出しでデカデカとバレてしもた。
いや~、その時の団先生の怒るまいこと。まぁ、嬉しさ半分でしたが。
例によって、「このアホ鉄馬が!」といいながら、
内心、まんざらでもなさそうな感じ・・・。
ここで本題だが、団先生は医者から腎不全で人工透析をしなければ、
余命いくばくもない、と宣告されながら、
人工透析を拒否していたのだった。
「そんなね。体に孔を開けて、週に三日も病院に通うなんて、
そんなみっともないことまでして、生きたいとは思わしませんがな」
さらに続けて、「死ぬなら絶対、腹上死やねん!」
とK記者の取材に対して、鬼六らしい大見得を斬った堂々のコメント。
――団 鬼六、一流のダンディズムだった。
これが団先生の言い分で、夕刊フジの記事では
そこが強調され、まぁ、団先生をかっこよく取り上げてくれたという感じで、
思わず団先生もほくそ笑んだものだと思う。
以後、団先生の取り巻き連中、特に各出版社の担当編集者は、
「とにかく人工透析をするべし!」
と進言するのだが、
団先生、依怙地になって、断固拒否!
男の美学、団鬼六流ダンディズムをどこまでも貫こうとしていた。
しかし、このままでは、マジにヤバイ!
そうこうして周りが焦っているうち、これもまた偶然というか、
ひょんな事から、チャンスが訪れたのだった。
私の友人で、日本屈指の実業家であり、ブルースシンガーの橋本ひろしがDJする
文化放送の番組で私がゲスト出演後、
「鉄馬さん、次に誰か大物のゲストを紹介してくれませんかね」
とディレクターKと橋本氏に頼まれ、思い悩んだ挙句、
団鬼六先生を推薦したところ。局側も橋本氏も大喜び。
で、例によって会社の仕事をサボタージュして、
団宅にハイヤーで迎えに出向き、スタジオへお連れした。
そのころ、団先生は体力的にかなり、よれよれで、
DJ橋本氏との掛け合いも、いまいちのノリだった。
その日の収録は私が採点するに、100点満点中の30点くらの出来で、
どうにも団節不発という残念な内容だった。
まぁ、とにかくヒヤヒヤしながら、どうにか無事収録が済んでから、
橋本氏と私と団先生の三人でコーヒーブレイクしている時、
「腎不全、人工透析拒否」の事が話題になり、橋本氏はかなり強引に
「先生、命を粗末にしちゃ駄目です。そんなカッコつけてる場合じゃない!すぐ、人工透析を受けなさい!」
と言うと、すぐさま病院の院長を呼び出し、
「これから団先生をお連れするから、
しっかり診てさしあげなさい!」と命令口調!
なんと、スタジオにロールスロイスが横付けされると
団先生と私は強引に乗せられ、一路病院へ。
どうなるのかと不安になって運転手さんに
「これからどこ行くんすか?」と聞くと運転手いわく、
「練馬、桜台の透析センターです。橋本会長の病院ですから、なにも心配いりません」
って、ひょっとして、まさか橋本氏は病院も経営していたのか?
これはさすがに意外だった。
コンピューター基盤大手のキョウデン、大江戸温泉などなど
のオーナーであることは知っていたけれど。まさかね。
病院に着くと、事情をよく把握していない団先生は
美人の看護婦はいないか、
とそればかり。
やがて、院長の診断を受け、
かなり、ヤバイ状況を悟り・・・
逡巡するも、ついに観念。
翌日から人工透析を始めることが決定した。
というわけだ。
まさに、九死に一生、明日にでもコロリと逝きそうな、逼迫した按配だったという。
奇しき縁とは、こういう事を言うのだと、つくづく思った。
期せずして、わが友人、橋本ひろしは団鬼六の命の恩人ということになった。
以来、先生はこの桜台の病院へ週の内、三日は通い、透析を続け、
美人看護婦連中を集めて屋形船の花見なんかもやっちゃったり、
再び元気になられたのだったが・・・。