そんなわけで色々書いていただこうと思ってます。
ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
m(_ _)m
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写真の女性は「日本で一番、ゴールドの似合う女」
黄金咲ちひろちゃんです~
*注:鉄馬さんの愛人ではありません(笑)
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憤!
永久安全企業であることを笠に着て、取引業者との癒着、談合は日常的に行なわれていた。
プール金でごちそうを食べる。
プール金でお酒を飲む。
プール金で日用雑貨を買う
プール金で自宅のTVを買う。
プール金で車を買う。
プール金で家族旅行をする。
プール金でゴルフをする。
プール金で競馬をする。
プール金でパチンコをする。
プール金で子どもの学費を払う。
プール金で家を建てる。
プール金で借金を払う。
給料はすべて貯金する。
これが役人の仕事か~!!
別に「2ちゃんねる」ではないんですけど。
プール金とは早い話が県の予算から取引業者に支払われた形をとった「預かり金」、
つまり各部署の「不測の事態の準備金」という名目の裏金のことだ。
県の予算とは、とりもなおさず、住民の血税のことだ。
裏金には必ず使途不明金が生ずる。公金横領だ。
その金は誰が何に使ったのか--。
「千葉県30億円不正経理」の全貌が明らかになるにつれ、
憤りを通り越して、アホらしくなった。
懸命に、休みもなく、ぜいたくを我慢して、シコシコと働いて、
税金を納めるのがアホらしくなった。
僕は東京都民で千葉県民ではないけれども、
不正発覚の端緒を切ったのは国庫補助を受けている県農林水産部だから、
全国民の税金も関わっているのだ。
他山の石であるはずがない。
岩手県の3億円、愛知県の17億円。
まだまだかわいいほうだった。
千葉の場合、分かっているだけでも‘07年までの5年間に30億円!
とほうもない金額だが、役人にしてみれば、
元々自分で汗水たらして稼いだ金ではないから、
痛みなど感じるわけも、罪の意識すらもないのだろうけど。
40年以上にもわたって代々の管理者に引き継がれ、
慣習的に継続されてきたという。
使途不明金なんてのは、今後まだまだ、ぞろぞろ出てくるであろう。
隠蔽される前に捜査を進め、
公金横領に関わりながら、退職金をガッポリともらい、
のうのうと余生を送っている退職者も含め、すべて名前を公表し、
返金させるべきだ。
それがきれいに片付くまでは、
千葉県民は納税を拒否せよ!
どうも。
旅に出ておりました。
来週には、南洋の方へ。
パスポート更新してきました。
それにしても
先代の金日成がそもそも、露の傀儡政権で、共産圏の踏み台だった。
金日成自体が創作された英雄であって実態がないから偽装するための演出は過度にエスカレートしてしまう。ところが所詮、ツクリモノだからやがてバレル。粛清もさまざまな形があるけれども、北の場合は最悪だ。まるで児戯に等しい。分別ある人、真実を知る者を力でもって、ことごとく封じこめてしまうという、恐怖政治なのだから、開いた口が塞がらない。いまどき、そんな子ども騙しをいつまで続けられるというのか。
この数十年はたしかに、露も中も開放に向けて余裕がなかった。けれども、いまとなっては、開放が米、日を中心とする民主国家の擁護のもとに無事進んで露、中は世界的な金融危機が始まるついこのあいだまで、30年前の日本の高度成長期を彷彿とさせる成長をみせていた。民衆は貧富の差こそあれ、結果的に市場の開放政策は成功したといえる。なによりも経済活動を主体とした文化交流を通じて、民衆は自由という最高の贈り物を得ることができたからだ。
余裕がなかったとは言わせない。露も中も北が世界の孤児となる前に手をさしのべるのが仁義というものだ。北の立国の張本人が知らんぷりではあまりにも身勝手であり、性質が悪い。それが露、中という油断のならない国だ。北に遠慮なく干渉できるのはこの二国しかないのだから。プーチンはやってくれるかな、と期待していたらこのざまだ。
中も露も世界の情勢を無視した自国利益優先の駄々っ子だ。地球規模の連帯が必要だというときに。このままでは、世界から「やはり北の兄弟」とおもわれるのがオチであり、メリットは無いはずだが。
――結果、北はドン(首領)の世襲という最悪の事態を招いた。そしていま、北は民衆の悲惨を蚊帳の外に、三代目継承の権力闘争渦中にある。民衆や、世界に眼を向ける余裕など、持ち合わせていない。自分の立場を優位に立たせるためだったら、なんでもやっちゃう北なのだ。ルールを無視したチンピラのケンカほどコワイものはない。
米韓主導の工作が功を奏する以前に、過去の歴史が証明している通り、この張りぼて国家は自滅するだろうけどさ。
うまい物を食べ、暖かい家に住むものたちは、その境遇を永遠に求めるだろう。沈みかけている泥舟と知りつつも、最後の最後まで、沈むその間際まで、自分だけは美味い肉を食らい続けたいとおもう輩たちなのだ。
ヒトラー、チャウシェスク、ポルポト、アミン、フセイン・・・独裁者の末路は悲惨である宿命を知るゆえに、「北」の中枢はいま、眠れぬ夜をすごしているはずだ。
旅――なんて魅惑的な言葉だろうか。
この言葉に憧れながら、いくつの年を重ねたのだろう。
今年こそは、とおもいながら、来年こそは彼の地へとおもいを馳せながら、時はながれた。
芭蕉も山頭火もなぜ、あれほどに自由になれたのだろう。
夢は枯野をかけめぐるのか。
野の骸となっても悔いることはないのか。
すべてを捨てきる覚悟ができないうちは
やはり、本当の旅はできないのだろうか。
車みちではなく、街道をめぐる旅をしてみたい。
一歩一歩、つちを踏みしめて歩いてみたい。
その土地の人とふれあってみたい。
その土地の草花とむきあってみたい。
その土地の自慢の酒と肴を愉しんでみたい。
あるいはその土地の娘と恋をしてみたい。