そんなわけで色々書いていただこうと思ってます。
ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
m(_ _)m
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写真の女性は「日本で一番、ゴールドの似合う女」
黄金咲ちひろちゃんです~
*注:鉄馬さんの愛人ではありません(笑)
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(part41)山田鉄馬の風俗綺譚 其の四十一
再び新宿・歌舞伎町へ――part4
歌舞伎町を二分する通称「花道通り」を境に、大久保寄りの歌舞伎町二丁目はクラブ、ラブホテル街。そして、JR新宿駅寄りの一丁目は世界に冠たる“性都”と化す。
キャバレー、ピンサロ、ソープランド、ストリップといった従来型の風俗に加え、1980年(昭55)前後を基点に、新たに台頭してきたノーパン喫茶、のぞき部屋、ファッション・ヘルス、デート喫茶など、アイデア射精産業が派手なネオンを競い合い、猥雑な賑わいをみせていく。
この時点で、歌舞伎町と他所の歓楽街との特徴的な相違点があった。
ヤクザの仕切りが曖昧だったことである。もともと、靖国通りを隔てた新宿駅周辺は、戦後復興期に“光は新宿から”――の名キャッチフレーズを掲げて、その名を天下に知らしめたテキヤ系の尾津組がきっちりとシキリを入れた。ところが後に遅れて、葦の原っぱから街づくりが始まった新興の歌舞伎町は関東博徒系の各グループが入り乱れて進出し、互いに牽制し合いながらも、いつしか棲み分けがなされ、それぞれがシノギを享受するといった不思議な形ができあがっていく。
歌舞伎町でクラブ経営を40年以上続けているオーナー社長(73)がこう語る。
「大体、昔から、ひとつ所のシマ(縄張り)は、どこそこの組と決まっていたものですが、いざ歌舞伎町となると違っていましたね。ヤクザ同士の縄張り争いがもっとひんぱんに起こりそうなのに、逆でした。水面下では小さな小競り合いもありましたけど、意外に少なくて、表面的にはトラブルを避けて仲良くやっている。大型の飲食ビルなんかだと、極端な話、フロアごとにシキリが違って、ひとつのビルに10近くの組の出入りがある場合なんかもあって、擦れ違ったりすると、きちっと互いに挨拶もする。トラブルのは、たいがい歌舞伎町の特別な事情を知らない地方から出てきたばかりの、粋がったチンピラでしたね。一般的なイメージとは違って、ある意味、歌舞伎町ほど安心して遊べる街はなかったと思います。そこへもってきて、暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)の施行。シノギがしにくくなって弱体化した間隙を縫って、チャイニーズマフィアが大手を振って好き放題する街になってしまうんです。日本のヤクザが手出しをしないことをいいことにね」
’94年(平成6)2月、中国クラブ「夢心」で福建人同士の殺人事件が発生。同年6月、中国クラブ「シャネル」で福建人対上海人の抗争。そして、同年8月10日の中国料理店「快活林」を舞台にした青龍刀殺人事件は、チャニーズマフィアの暗躍をはじめて世間に知らしめた凄惨な事件だった。“怖い歌舞伎町”のイメージを決定づけてしまう。
もはや当局も看過できない。これを契機に、新宿署は不法滞在の中国人一掃を目的とした「環境浄化作戦」を展開。さらに‘98年(平成10)、警視庁は歌舞伎町一帯を指定し「国際組織犯罪特別捜査隊」を発足させることになる。歌舞伎町浄化作戦の始まりだった。(つづく) 竹書房「快援隊」連載中!