そんなわけで色々書いていただこうと思ってます。
ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
m(_ _)m
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写真の女性は「日本で一番、ゴールドの似合う女」
黄金咲ちひろちゃんです~
*注:鉄馬さんの愛人ではありません(笑)
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(part43)山田鉄馬の風俗綺譚 其の四十三
再び新宿・歌舞伎町へ――part6
“歌舞伎町浄化作戦”の実質的司令塔となったのは元広島県警本部長で、石原都知事の意を受けて副知事に就任した竹花豊氏だった。副知事主導のもと“フーゾク粛清”の嵐が本格化したのは平成15~17年の3年間に及び、歌舞伎町と池袋の店舗型イメージクラブ(イメクラ)、性感ヘルスが摘発され壊滅状態となる。もとより、無届け営業の違法店だったから宿命の粛清ではあったのだが。
一般的には店舗型のイメクラは届出済みの合法ファッションヘルスと同様に考えていたフーゾクユーザーや働く女のコが多かった。しかし、厳密には無届店であり、風営法違反にあたる。昭和60年(‘85)2月に施行された改正風営法(新風営法)以降、都内においては新規の店舗型ヘルスは開業できない。都内で認められているのは昭和60年の新風営法施行直前までに所轄に届出が間に合った68店舗のみ。有名どころでは歌舞伎町のアメリカンクリスタル、USAなど、いまでは老舗ファッションヘルスと呼ばれる一群のことだ。後、平成に入りイメクラがブームとなるが、違法であるにもかかわらず盛り場の一等地に堂々と派手な看板を出して店舗展開をしていけたのはナゼか?じつはブームと相前後してオウム真理教が社会を震撼させる重大事件を次々と犯し、警察当局は身動きができなかったからである。当局はオウム事件に忙殺され、風俗の取り締まりどころではなかった。その間隙を縫ってイメクラ・性感ヘルスは野放図に増えすぎる。派手に増えすぎれば当局も動く、というのがニッポン・フーゾクの歴史的原理なのだが、今回はオウムに助けられたといったところか。オウム事件が終息した平成12年ころから、ようやくイメクラ・性感ヘルスの規制が厳しくなり始めていた。
その前年の平成11年4月、それまでは法律の埒外だった出張マッサージが届出制となり、合法化されていた。当局の思惑はとにかく「目立つ、卑猥(ひわい)な看板を減らし、街の景観をキレイにしよう」――そんな、“臭いものには蓋(ふた)”的意図が透けて見えるものだったが、これも時代の流れであり、あまりにも違法店舗フーゾクが増えすぎた結末だった。事務所で電話のみの応対で女のコを派遣する出張ヘルスは合法化以降増え続け、昨年(平成18)5月の風営法改正直前までに全国に2万2千軒。歌舞伎町をはじめとする盛り場がいまひとつ気勢が上がらない中で、そこそこ健闘はしているものの、これまでの店舗型フーゾクのような我が国の誇るべきフーゾクの面目躍如としたアイデアバリエーション、つまり新しい“あそび”が、まだ生まれてきていない、というのが今日の状況である。裏を返せば、どんな時代にもしたたかに挑み続けてきた世界最先端をゆくニッポン・フーゾクの今がまさに仕掛け時ともいえる。
新しい“あそび”の萌芽を次号からは検証を加えつつ紹介していこう。(つづく)
竹書房刊「快援隊」連載中!