そんなわけで色々書いていただこうと思ってます。
ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
m(_ _)m
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写真の女性は「日本で一番、ゴールドの似合う女」
黄金咲ちひろちゃんです~
*注:鉄馬さんの愛人ではありません(笑)
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(part42)山田鉄馬の風俗綺譚 其の四十二
再び新宿・歌舞伎町へ――part5
‘94(平成6)当時、中国マフィアの跳梁跋扈を許した背景には、間接的に暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)の施行も絡んでいた。
「この法律自体は良いことだが、プラスもあればマイナスもありで、ヤクザが手出ししないことをいいことに、チャイニーズが大手を振って好き放題するようになってしまう。むしろそれまでは世間一般的なイメージとは違って、歌舞伎町ほど安心して遊べる街はなかったのです」(歌舞伎町のクラブ経営者)
先号で詳述した中国人による歌舞伎町を舞台にした一連の凄惨な事件は完璧に歌舞伎町を“怖い街”として世間に知らしめることになる。ここまでくると為政者も手をこまねいて傍観するわけにもいかない。新宿署を中心に不法滞在の中国人一掃を目的とした「環境浄化作戦」を展開。さらに‘98年(平成10)、警視庁は歌舞伎町一帯を指定し「国際組織犯罪特別捜査隊」を発足させる。外国人による凶悪犯罪が年毎に急増していた背景もあった。
歌舞伎町のビルオーナーで在日二世中国人のO氏(58)が語る。
「そもそもチャイニーズマフィアを生み出していった直接の背景は’84年に遡るのです。当時の中曽根首相時代、訪中して胡総書記と会談し、10万人の留学生を受け入れると約束しました。以後大量の中国人留学生が入国するのですが、じつはこの留学生クズレがチャイニーズマフィアを生み出す遠因となりました。無論、マジメな学生もたくさんいて、祖国に帰って活躍している人や、民間レベルで日本との親善に頑張っている人もたくさん知っていますが、中には悪いヤツもいた。やがて蛇頭ビジネスに手を染めるアウトローが徒党を組むようになり、麻薬、拳銃の密輸、盗品の売買、カード偽造、集団強盗、非合法風俗店の経営など、ありとあらゆるアングラビジネスに手を染めていくことになったわけです。歌舞伎町という街の恩恵を受けて育った私としては、同国人として慙愧にたえません。中国人の悪いイメージをなんとか返上したいものです。素晴らしい人間もたくさんいますから」
同時に上海人対福建人の利権の絡んだ抗争事件などが勃発し、平和ニッポンを驚愕させる。それらすべての犯罪が、あたかも歌舞伎町を基点に全国に波及していたかのような印象を一般には与えた。
折りも折り、「国際組織犯罪特別捜査隊」が発足した翌年の’99年4月(平成11)、石原慎太郎が東京都知事に就任する。“怖い街”、“悪の根源”と決めつけた石原都政は“歌舞伎町潰し”を堂々と公言、さまざまな取り締まりを強化していくことになる。(つづく)
竹書房刊 「快援隊」にて連載中!