そんなわけで色々書いていただこうと思ってます。
ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
m(_ _)m
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写真の女性は「日本で一番、ゴールドの似合う女」
黄金咲ちひろちゃんです~
*注:鉄馬さんの愛人ではありません(笑)
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団 鬼六 『往きて還らず』
出撃の前夜、滝川一郎大尉はひそかに、部下たちをすみれ館に招いた。
料亭の敷地内に建てられた瀟洒な洋館だった。
暗闇の中で、隊員たちは一本ずつろうそくを持たされた。
やがて、彼らが見たものは――
この小説のクライマックスともいえる部分だが、小説の主人公、工藤八重子は美貌の元宝塚歌劇団スターであり、滝川大尉の愛人だった。
滝川は特別攻撃隊の隊長として出撃し、数時間後にはこの世からいなくなる。
この極限を前に八重子は最後の愛の交歓に応じることになるのだが、ふたりの交歓を部下たちに見せると提案していた滝川の真意を図りかね、拒みつづけていた。
しかし出撃の前夜、滝川の本妻が面会に現われたことで、八重子の迷いは吹っ切れ、ついには覚悟を決める。
「八重子を妻にしろ。俺の代わりに八重子を守ってくれ」-ー後事を託された滝川の後輩、中村中尉も最初は抵抗があったが滝川戦死のあと、滝川の唯一ともいえる遺言を迷いつつも受け容れるしかなかった。
空の貴公子と呼ばれた中村中尉と八重子は滝川大尉の初七日が過ぎてからしばらくすると、濃密な交際に発展していく。この中村中尉もまた特攻隊長として出撃の日がせまっていた。出撃前夜、ふたりは結婚をする。その中村中尉もまた先に逝った滝川大尉がしたのと同じように、「俺が死んだら八重子を守ってくれ」と後輩の横沢少尉に後事を託した。
八重子もまたそれを甘んじて受け容れる。
二十歳をすぎたばかりの横沢少尉は貪るように八重子の身体を求めた。
そしてその横沢もまたあっけらかんとした笑顔を残して沖縄の海に消える。
以後、八重子は自ら志願して特攻基地、鹿屋の娼館に身を沈める――
戦時中、男たちは、国のため、家族を守るためと言い訳して、あっさりと死んでいった。
人生のなんたるかも知らず、また女を知ることもなく死んでいった多くの若者たちの存在はあまりにも悲しい。これまでの特攻ものはそうした悲愴と暗鬱なテーマがほとんどであった。
しかし同じ特攻ものでも、団鬼六の手にかかると、まるで異質の世界となる。
誰だって本当は死にたくない。生きて、人として生まれてきた喜びを享受するのは、
すべての人間に与えられた権利じゃないか。時勢に翻弄され、自分の意思というものを殺された男たちは、しかしその運命に抗らうこともせず、透徹した諦観であっさりと命を捨てに往き、
そして二度と還らなかった。
そうした過酷な運命を背負った男たちと間近に接してきた八重子は、女としての闘いを挑むことを決意した・・・。
やがて特攻基地のある鹿屋も空襲を受けるようになるが八重子は防空壕に避難することもなく、いつもとおなじように接客を続ける。そして、何度目かの空襲のあと、男女がまぐわったままの焼死体が発見された。
普賢菩薩に昇華した八重子の最後の姿だった。
「性女」は「聖女」たりえるのか--長年、この命題と格闘してきたわたしにとって、
見事な解答を突きつけた一冊である。
団鬼六一流の布石だと思うが、この物語は実際にあった話だという。
小説家として駆け出しの頃、父親から聞かされた話で「これだけは小説にするな」と釘をさされたというが、ウソかまことか。
(新潮社刊 7/22発売)
深夜、浜田山の団先生宅にお邪魔した。
愛犬アリスが相変わらずの肥満体で玄関に出迎えた。
打合せがひと通りすんで、散歩がてらに近くで飲むことになった。
その日は人工透析の日で、あまり体調は良くないはずだが、
「いいから、気にするな」と、奥様の制止もきかず、
よたよたと出かけたのだった。
店じまいの頃合であったが、店主は気持ちよく受けいれてくれた。
島美人のオンザロックで乾杯し、馬刺しを注文する。
ここでは、いつも馬刺しなのだ。
共食いみたいな感じだが、わたしは、馬刺しが大好きなのだ。
団先生はいつも私の好みに合わせてくれる。
わたしはそれに甘える。
先生はほんの一切れ口に運んだだけで、
「あとはキミがいただきなさい」と箸を置き、
笊に盛った生キャベツを手掴みでボリボリ。
先生のグラスはちびりと舐めた程度でいっこうに減らない。
(やはり体調は芳しくないのですね・・・)。
私は島美人をくいっとあけると、次は新潟のどぶろく。
馬刺しも先生の分と二人前をぺロリとやって、さらにもう一皿頼んだ。
(おろし生姜とおろしニンニクがたっぷりと入った醤油だれがタマらん!)
先生の不調にかまわず、ガンガンいく。
これが男の作法、私の流儀。
次に店主のお薦めで、「猪突こ(ちょっとこ)」(だったけか・・)という
初耳の逸品をストレートで。
これが、めちゃ馬(旨っ)!
店主は「なかなか手に入らない代物です」と、もったいぶってみせたが・・・
なるほど。
「馬い!」「馬い!」と吼えながら、
たて続けに三杯もおかわりしてしまった・・・。
毎年、春の桜と夏の花火観覧は屋形船で繰り出すのが習いだったが、今年の夏は屋形船ではなく『往きて還らず~すみれ館奇譚』の出版と喜寿を迎えた祝いを兼ねてパーティを催すことになった。8月12日、新宿・歌舞伎町で行なう。
陰ながらサポートできればとおもう。
このあいだ、やはり浜田山の寿司屋でご馳走になったので、今回は私が会計しょうとしたが、先生、頑として聞き入れてくれず、またご馳走になってしまった。
これが団先生の流儀。
男は常にかくあるべきとおもう。
素直にごちそうさまでした・・・。
団先生の好きな言葉 その一
何せうぞ
くすんで一期は夢よ
ただ狂え
(閑吟集)
深夜、N医師に誘われるまま、
再び、渋谷円山の頂に降り立ち、
「眠れる森の・・・」の深みに分け入る。
瑣末なことに忙殺される日々も、
性の深淵にふれる景色の転換は
惰性からの覚醒でもあったが・・・
一度、団鬼六先生をお連れしようとおもっている。
団先生は腎臓が悪くて、人工透析通院中であるが、お元気だ。
去年の秋、小説新潮で発表した書き下ろしの中篇「すみれ館奇譚」が
7/22「往きて還らず~すみれ館奇譚」というタイトルで新潮社から発刊される。
凄い小説だ。
体調不良にもかかわらず、しっかりといい仕事をなさっている。
さすがです。
映画化の話も進んでおり、
「山田くん、プロデュースひとつよろしく」といわれたが、
時間的に厳しいものがあり、4足、5足もの草鞋を履いている今、
逆に迷惑がかかってはまずいので、アシストで許していただいた。
その代わり、先生のためだったら全力でサポートする。
「眠れる森の・・・」にて、
ふと団先生を思い出し、いつも冗談半分にいう
女ごころは縛れないけど、
せめて身体は縛りたい
という言葉をおもいだしたのだった。
私には珍しく重たいテーマの取材旅行だったため、
はしゃぐのは厳に戒めたはず、
がしかし、生来の奔放な快楽主義が常にかま首をもたげ、
仕事とのギャップの狭間で葛藤しつつ(?ホントかよ)
も、ちゃっかりと南洋の島の素敵さに悩殺され、
仕事なんかうっちゃらかして、
このまま住んじゃおうか。帰りたくない~!
と、おもわせた旅でもあった。
パラオ諸島のペリリューが今回の目的地だった。
日本から南西に3000㌔。
グァムとフィリピンの中間あたりに位置する南海の楽園。
まだ一般的にはなじみが薄いようだ。
スキューバダイビングのメッカとして、その方面では有名らしいのだけど、
パラオ、ペリリューと聞いて即座に反応できるのは、大戦経験の高齢者か。
じつは、この島、第二次世界大戦で、激戦の末、1万2千人の日本兵が全滅した島なのだ。敗戦までの三十余年、日本の統治下にあったため、日本の風習や文化が引き継がれ、いまだ遺されている。
いざ、アメリカ軍と相まみえる時、戦火に巻き込まれないように、日本軍は先住民たちを全員、安全な島へ疎開させた。という経緯があり、いまだ、住民は親日的であり、さまざまな形で友好の交流が続けられている。
(詳しくはNPO南洋交流協会オフシャルサイトwww.nanyou.org-を参照)
そういった意味ではもっと一般になじみがあっても良いはずだが、
知られていない。
が、ために手つかずの大自然を享受できる、ラッキーということなのね。
「玉砕」--以後の現代までに連なる物語に関する取材の仕事だったため、
冒頭の深刻な思わせぶりだったワケさ。
じつはパラオ、これまでも縁がないわけではなかった。
毎年10月1日に行なわれるパラオ共和国の独立記念祭には日本・パラオ友好親善大使を日本から派遣するのだが、その親善大使を選ぶ「ミスパラオコンテスト」の広報プロデュースと制作進行ディレクターをここ数年、主催者から乞われるまま続けていた。
ところが、今年は、まったく別ルートの本業の仕事でパラオに出張と相成ったわけだ。
2009年の選考会は6/21に実施したのだが、今回ばかりはこの出張スケジュールと重なったため、鄭重にお断りせざるをえなかった。
毎年私自身が楽しみにしていたイベントだっただけに残念。
美人ちゃんがいっぱい集まるんだぉ~!
まぁ本業優先でやむなしか。
なにかと因縁浅からずということで、
今後折りに触れて、パラオ、そしてペリリューについては触れていきたい。
人類にとって、忘れてはならない記憶と、美しい海。
とりあえずは久々の更新でした。
田村泰次郎の『肉体の門』、水上勉の『五番町夕霧楼』、生島治郎の『片翼の天使』、村上龍の『トパーズ』、佐藤亜有子の『ボディ・レンタル』、中村うさぎの『イノセント』、最近では重松清の『なぎさの媚薬』--娼婦あるいは性女を題材にしながら、時代の先端を映し出してきた小説の一群。
江戸期から現在に至るまで、さまざまな作家が、さまざまな手法で娼婦を主題に、あるいは娼婦を絡ませた物語を残してきたが、その時代の風俗、男女の機微、そして女の生きざまを活写したすぐれた作品が多い。
さて、「娼婦」と一口で言っても、単純にはひと括りにできない。厳密にはどこまでが娼婦で、どこまでが娼婦でないのか、明確に規定することは難しい。特に現代では。
フリーの風俗ライターとして30数年を経た、われらの大先輩である伊藤裕作氏がこのたび上梓したズバリ、『娼婦学ノート』(データハウス刊)は、あらためて娼婦ってなんだろうと考えさせられた本である。
戦後からの娼婦が登場する数々の作品をひもときながら、自らの取材現場体験で得た娼婦観を重ね、考察した労作。あるいは今後、さらに「娼婦学」に深く分け入り、なんらかの結論を導き出そうとするための、まずは序章かーー。
伊藤流「娼婦学」はつまり、日本における現代女性考でもあると私は感じた。しかし、そのまなざしはどこまでもやさしい。
娼婦=性女は聖女たりえるのか-ー長年、この命題と格闘している私にとっても、示唆に富む一冊。
人生の先輩であり、遊びの師匠でもある橋本ひろしのライブには、
月に2度は出向く。
おっちゃんロッカーと、自らを謙遜するが、
そのへんのガキロックと違って、ソウルフル。
噛めば噛むほど味が出るっちゅうやつだ。
仕事やプライベートが思う様にいかなくて、屁垂れ込んでいる時、
どうしょうもなくパワーが落ちている時、
僕は橋本ひろしが放つ、
閃光のようなパワーをもらいに、のこのこ出かける。
すべてオリジナルだが、なかでも
「今、僕は六本木の交差点に立つ」
と「たまるか」が好きだ。
(写真)六本木のライブハウス「スプラッシュ」にて
*追記 5月10日(土)、渋谷CCレモンホール(渋谷公会堂)にて2000人ライブ決行!
パワーもらいにいこうぜ!